敬意

オリンピックを観戦していると、一流同士の戦いだから、ミスでもないと、点が入らないように見える時があります。

だから、「相手の失敗を願うなんて!」と非難されるかもしれませんが、相手のミスを願う時があります。

そんな時に限って、相手が全然ミスしなかったりします。

鍛錬を積み、実力がついている、超一流の選手だからでしょう。

最初憎たらしく見えたとしても、すごさが、ある基準点を超えると敬意に変わります。


プレバトというテレビ番組を視聴中にも、似たようなことを考えました。

俳句の査定というコーナーで、私が少し苦手な芸能人がいるのですが、一時期、その人がミスしたら良いなと思って観ていました。ところが、彼はなかなかミスをしませんでした。

そのうち、彼には本物の力があるんだな、と実力を認めたことを覚えています。

今は出演者全員を応援して観ています。


最初普通だと思っていたけれど、のち実力実績を認めた例として、自分の親の存在があります。

若い頃の私は、「両親は平凡だ」と思っていました。

ただ、自分が毎日仕事や家事を精一杯やるようになると、毎日、何十年も続けられることは、ものすごいことだとわかってきました。

最高の敬意に値すると言っても良いのではないでしょうか。

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